私物の在処 ぬかつくるとこ編

私物の在処 ぬかつくるとこ編
Where The Private Things Are

私物に宿るひそかなストーリー
大切なものはみんなそれぞれ
たくさんのふつうが交差する展覧会
イドノウエで開催

会期|2023.2/7(火)- 3/4 (土) 10:30 – 15:30
会場|イドノウエ(岡山県都窪郡早島町前潟126)
入場|無料
定休|日・月
主催|ぬか つくるとこ
企画|そのうち国際芸術祭
助成|福武教育文化振興財団
協力|社会福祉法人創樹会 鞆の津ミュージアム

本展「私物の在処|ぬかつくるとこ編」は、鞆の津ミュージアムの
津口在五さんを企画者に迎えた展覧会です。

他人には何の変哲もなく、「ごみ」同然。だけど、持ち主にとってだけは他をもって代えられない。あるいは、なぜか捨てるに捨てられない「宝」のようなもの。そんなごく私的な価値を持つ個人の持ち物をお伝えする本展『私物の在処|ぬかつくるとこ編』は、2020年に開催された鞆の津ミュージアム企画展『私物の在処』の続編的な試みにあたります。鞆の浦では、持ち主の人生にねざした個人的な〈私物〉を95名分集めて、それにまつわるエピソードと一緒に展示しました。人の数だけ〈私物〉はある。そのようなわけで今回、ここ「イドノウエ」でお伝えするのは、「ぬかつくるとこ」にかかわりのある皆さん20数名にとっての〈私物〉の数々です。
『私物の在処』展に際してお話を聞いたある方は、自身にとっての〈私物〉について、心当たりをつけるのがなかなか難しく「自分のコアを探してるような気にもなります」と言われていました。〈私物〉の並ぶこの井戸の上から下に掘り進んだずっと奥には、地球を今の地球たらしめている中心部たるコアがあるのと同じように、これら〈私物〉の裏側には、持ち主の「いま」を成り立たせている核みたいな何かがある、というわけです。
自分の心の支え以外にはほぼ何の役にも立たず、世の中的な有用性の彼方にある。自分以外の誰もそれを欲しがらないがゆえに、お金に交換できる日も来そうにない。本展は『そのうち国際芸術祭』の一環として開かれるものですが、そこにつなげていうならば、〈私物〉とは、公的なものに包摂されえないそのどこまでもローカルな価値を他人が共感できる「そのうち」がいつまでたってもやって来なそうなもの、とひとまずは言えます。それでも、イドノウエの前で、あなたとわたしの間に横たわる小さくて大きい隔たりがわずかでも縮まったと、もし感じられたなら、到来しないはずの「そのうち」はすでにそこまで訪れていたのかもしれません。


津口在五 Akigo Tsuguchi
1976年 広島県生まれ。鞆の津ミュージアムのキュレーター。書店員、放課後等デイサービス勤務を経て、2013年に館の運営母体である社会福祉法人 創樹会へ入職。入所施設の生活支援員として働いたのち、現在も福祉現場での創作活動に関わりながら、展覧会づくりにあたる。企画展として『原子の現場』『世界の集め方』『文体の練習』『かたどりの法則』『ここの出来事』『私物の在処』『きょうの雑貨』など。人生にねざした独自の創作的表現に関心あり。


トーク
「わかっちゃいるけど手放せない」
講師|菊地浩平(人形文化研究者)
聞き手|津口在五(本展キュレーター)
日時|2023年2月19日(日)14:00 – 15:30
会場|ハナレ(イドノウエ横)& ZOOM
参加費|無料
申込み|メール「info@nuca.jp」に「お名前/TEL/人数」をお知らせください

ぬいぐるみ・わら人形・着ぐるみ・ヒーローショー・AI・アバターなど、メディアとしての「人形」を通して人間について考えてこられた人形文化研究者の菊地浩平さんをお迎えし、わたしたちの日常を支えている「非合理さ」について、さまざまにお話しいただきます。


菊地 浩平 Kohei Kikuchi
1983年埼玉県鴻巣市生まれ。白百合女子大学講師、人形文化研究者。
早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学後、日本学術振興会特別研究員(PD)、早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系助教等を経て、現職。人形をひとつの「メディア」として捉え、テレビ人形劇、ぬいぐるみからアンドロイドやアバターまで、社会におけるさまざまな人形文化の分析を行っている。著書に『人形メディア学講義』(河出書房新社、2018)、『人形と人間のあいだ』(NHK出版、2022)。

主催・問合せ|ぬか つくるとこ
TEL=086-482-0002 Email=info@nuca.jp WEB=nuca.jp

そのうち国際芸術祭
そのうちできるよ。の精神で。そのうちはじまる芸術祭。ぬかの日常(発酵状態)をお見せする試みとして2019年より開催中。本展も「そのうち国際芸術祭」の一環として開催します


出展される私物紹介(一部)

母が手づくりしてくれた袋
出品者の母が孫のために自作し、贈ってくれたもの。第一次韓流ブームが到来し、ぺ・ヨンジュンに夢中となった母の自宅がグッズであふれていた頃、出品者夫妻は結婚後8年で子を授かった。それにより母は、ヨン様から初孫へと「乗り換え」。重度障害のある娘(出品者の姉)や認知症の母をケアする毎日の中、夜な夜な得意な裁縫を生かして手作りしたものを届けてくれるようになった。以来、孫3人に同様の制作を続けているが、幼い孫にその時々のマイブームを尋ねて柄に反映させるといった丁寧な仕事ぶり。そんな母の器用さが家族にしか知られず陽の目をみないことも気にかかり、本品を手放せないできた。断捨離を経ても生きのこった袋は、大型クリアボックス2つ分の約100個。「ボタンつけもドキドキしてしまうほど不器用」だという出品者は本品について、「ちゃんと(手芸を)教えてあげられなかった」と嘆く母からの「愛情表現でもあるのかな」と思っている。
 
 
 
改札で渡し忘れた切符
長男が3歳の頃、次男の双子と妻を合わせた家族5人で初の電車体験をした際に購入したもの。車内では「長男を抱き抱え、双子用ベビーカーに刺さる顰蹙の目」を感じながら、「車窓越しの風景を楽しめるはずもなく」到着した岡山駅では、見るに見かねた駅員が団体用出口から送り出してくれた。その直後にも双子の一人が迷子になるなど、様々なハプニングを乗り切って帰り着いた倉敷駅に停めていた自家用車に乗った時、渡し忘れた本品をポケットの中に発見。その際、何気なく日除けにはさんだままずっとそこにある。何度かの車検を経たが処分されず、元の位置にあり続けてきた。毎回同じ整備士だとはいえ「車屋スゲーなと驚いてます」。今や「生意気盛り」の長男だが、日除けをおろすたび目に入る本品は、当時のドタバタ劇を甦らせて「センチメンタルにさせる装置」なのだという。「玉のように可愛らしかった思い出が、息子に対する僕の態度を軟化させるのです」。
 
 
 
ミッフィのぬいぐるみ
3歳の頃、曽祖母に買ってもらったもの。本品は3代目だが、リュック型の初代/2代目とは形が異なる。初代が壊れたことで手にした2代目だったが、ある日の外出に持って出るのを忘れた出品者が大泣きしたため、同行していた曽祖母が「その場しのぎ」で買い与えたのが本品。その後、自分の大切な物を紹介する小学校の授業に持参したことで、〈みーちゃん〉と名付けた本品の存在は皆の知るところとなった。寝る時はもちろん、小中の修学旅行も一緒。「理解ある地元でしたね(笑)」。汚れると洗っていたが、逆さになったり耳がはさまれるのを見ては悲しくなり、乾くまで触れない恋しさもあってよく泣いたのを覚えているという。昔から今まで、何かあるとなぜか「ミッフィの顔を7回触るという願掛け(笑)」がやめられない。なお、7という回数は出品者の名にちなむ。普段はリビングにある息子のぬいぐるみにまぎれ、いつのまか「こっそりと隠れる位置」にいる。


チラシ

nuca